弁論術は 「弁論術・プラトン・歴史」

論じ合ったり、陳述するための方法。

紀元前5世紀のシラクサをはじめとするシチリア島の諸都市では政変に伴って所有権をめぐる無数の訴訟が生じ、コラクスKorax、テイシアスTeisiasが法廷弁論のための教授を行った。

これが弁論術の始まりとされる。

その後ソフィストsophistの活動と結び付いて議会演説にも拡大応用された。

ペルシア戦争後急速にアテネに伝播し、言論能力が国政を主導するアテネの伝統に適合して一大隆盛をみる。

他方ソフィストとは別に、法廷弁論の代作を請け負う者や青少年の教育を目的とする者も現れた。

弁論術の学習は手本となる言論の暗記が主流で、そこから実用目的を離れた演示用弁論とよばれる分野が派生した。

こうして法廷用、議会用、演示用という弁論の3分野が成立した。

プラトンは、ソフィストたちの弁論術が、真実ではなく真実らしさに基づき、聴衆の善ではなく快に奉仕する迎合に堕している点を批判し、技術としての資格をもたない単なる経験・慣れの域にとどまっていると指摘する。

技術としての弁論術は、総合・分割の2契機によって事象連関を探求する弁証術、および、聴き手の魂の種類と言表形式の種類との相応をとらえることによって、哲学の言論に資するものとなる。

プラトンの批判を受け継ぎながら、在来の弁論術の業績を幅広く吸収してこれを技術として完成したのがアリストテレスの『弁論術』である。

彼は弁論術を「それぞれの対象に関して可能な説得手段を観察する能力」と定義して、立証、配列、措辞の3部門をたてる。

要となるのはの立証であり、そこに弁論家の性格、聴衆の感情、言論そのものの論理が含まれる。

にはさらに、弁論術的帰納とよばれる「例」と、弁論術的推論とよばれる「エンテューメーマ」があり、蓋然的ないし常識的命題を前提に用いる不完全な三段論法であるエンテューメーマがとくに最有力の立証手段として重視される。

すなわちアリストテレスは、真実を探求する哲学的言論とは異なる大衆相手の実践的言論の技術の領分において、真実らしさの実効性に理論的照明をあてたのである。
update:2010年03月16日